2009年6月18日木曜日

高村光太郎「牛」

牛はのろのろと歩く牛は野でも山でも道でも川でも自分の行きたいところへはまっすぐに行く牛はただでは飛ばない、ただでは躍らないがちり、がちりと牛は砂を掘り土をはねとばしやっぱり牛はのろのろと歩く牛は急ぐことをしない牛は力一ぱいに地面を頼って行く自分を載せている自然の力を信じきって行くひと足、ひと足、牛は自分の力を味はって行くふみ出す足は必然だうはの空の事ではない是でも非でも出さないではいられない足を出す牛だ出したが最後牛は跡へはかへらない足が地面へめり込んでもかへらないそしてやっぱり牛はのろのろと歩く牛はがむしゃらではないけれどもかなりがむしゃらだ邪魔なものは日本の角にひっかける牛は非道をしない牛はただ為たい事をする自然に為たくなる事をする牛は判断をしないけれども牛は正直だ牛は為たくなって為た事に後悔をしない牛の為た事は牛の地震を強くするそれでもやっぱり牛はのろのろと歩く何処までも歩く自然を信じ切って自然に身を任してがちり、がちりと自然につつ込み食ひ込んで遅れても、先になっても自分の道を自分で行く雲にものらない雨をも呼ばない水の上をも泳がない堅い大地に蹄をつけて牛は平凡な大地を行くやくざな架空の地面にだまされないひとをうらやましいとも思はない牛は自分の孤独をちゃんと知っている牛は食べたものを又食べながらぢっと寂しさをふんごたへさらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く牛はもうと啼いてその時自然によびかける自然はやっぱりもうとこたへるそしてやっぱり牛はのろのろと歩く牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ思ひ立ってもやるまでが大変だやりはじめてもきびきびとは行かないけれども牛は馬鹿に敏感だ三里さきのけだものの声をききわける最善最美を直覚する未来を明らかに予感する見よ牛の眼は叡智にかがやくその眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく形のおもちゃを喜ばない魂の影に魅せられないうるほひのあるやさしい牛の眼まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼永遠を日常によび生かす牛の眼牛の眼は聖者の目だ牛は自然をその通りにぢっと見る見つめるきょろきょろときょろつかない眼に角も立てない牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ外を見ると一緒に内が見え内を見ると一緒に外が見えるこれは牛にとっての努力ぢゃない牛にとっての当然だそしてやっぱり牛はのろのろと歩く牛は随分強情だけれどもむやみとは争はない争はなければならないときしか争はないふだんはすべてをただ聞いているそして自分の仕事をしている生命をくだいて力を出す牛の力は強いしかし牛の力は潜力だ弾機(ばね)ではないねぢだ坂に車を引き上げるねぢの力だ牛が邪魔者をつつかけてはねとばす時はきれ離れのいい手際だが牛の力はねばりっこい邪悪な闘牛者(トレアドル)の刃にかかる時でも十本二十本の槍を総身に立てられてよろけながらもつっかけるつっかける牛の力はかうも悲壮だ牛の力はかうも偉大だそれでもやっぱり牛はのろのろと歩く何処までも歩く歩きながら草を食ふ大地から生えている草を食ふそして大きな体を肥す利口でやさしい眼となつこい舌とかたい爪と厳粛な二本の角と愛情に満ちた啼声とすばらしい筋肉と正直な涎(よだれ)を持った大きな牛牛はのろのろと歩く牛は大地をふみしめて歩く牛は平凡な大地を歩く

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